母の日というイベントに「うんざり」するようになってどれくらいたつでしょう?
モラ母パーソナリティー
「母」というのが自分を守ってくれるほんわかした存在がスタンダードなら、そこからは大きく外れた自分の「母」。
外れているだけならまだしも、息するように自分の心を痛めつけ苦しめるだけの人間に「感謝」をする日ってなんの冗談でしょうね。
時々デトックス(毒出し)をかねて毒親ネタを記事にすることがあります。
こんな風に。
そのなかで毒母のパーソナリティについてこう書いています
「母は自分が他人に与える傷に関してはサザエさん以上に鈍感で、自分が傷つけられることに関してだけはサザエさんとは似ても似つかぬほど過敏だったわけです。」
こういうパーソナリティの実母の言葉の暴力に晒され続けてこころを削られていった子供というものは変なものにあこがれるもので、そのうちの一つが「孤児」でした。
孤児礼賛の漫画への憧れ
当時のサブカルの影響もありましたね。
『キャンディ・キャンディ』が流行っていました。
あとちょっと暗いけど
これらは人的環境に恵まれていた「孤児」の話で…。
確かにその通りではありますよ。
でも目の前に存在する親から与えられる精神的苦痛。
何をやっても非難され否定され罵声を浴びせられ、そんな家で耐えていた自分に言い聞かせた造語が
「精神的孤児」でした。
親が子供のこころに与える影響を、ポジティブ=プラス、ネガティブ=マイナス、とするなら、プラスだけの親は確かに皆無です。
だが度を越えてマイナスばっかり子どもの心に与える親もいるんだよ!
確かに「孤児」は親にしてもらえることはないから、親のことでこころにプラス要素が加算されることなくゼロのままではあるけど、マイナス要素ばっかり押し付けてくる親の傍などに居たくないけど居ざるをえず、気づけばとんでもない数値のマイナスを抱えこまされてしまったのなら、ゼロのほうがまだましだって言いたいんだよ!
こちらは私がすでに大人になった後に出た『ワンピース』のセリフ
お前らには悪いけど俺には親がいても”一人”だった(サボ)。
主人公ルフィの義兄サボの子どもの頃のセリフです。
その後サボは貴族の体面だけを重んじ、親のための従順な「道具」としか子を見ない家を飛び出し船出。途中天竜人に砲撃され瀕死の重傷を負うがルフィの実父ドラゴンに助けられ革命軍の一員になるのです。
そういえば『ワンピース』って「毒親」多いよね。
他のも憧れた「珍妙」なもの
他にもこれまたサブカルの影響と言わざるを得ないけど、憧れたものとして「白血病」。
ちょっと待て!甘いとしか言わざるを得ない!
と、大人になった今なら分かる(=_=)。
ただ当時は子供でしたから…。
昭和40年代に流行ったのですが、山口百恵&三浦友和の「赤い」シリーズで、百恵ちゃんの役が白血病にかかって云々、それをきっかけに少女漫画でも、「白血病」とか「出生の秘密」とかがデフォだったのですよ。
実親に邪険にされる子供が持ちがちな「自分の本当の親はどこか他のところにいる」という「憧れ」。
出生の秘密をテーマにしたストーリーってそれを具現化しているし、でもそれはあくまで物語の中で、実際には本当に血のつながった親が自分の心をこれでも痛めつけているだけの「絶望」
次に憧れるのは他ならぬ「死」であり、まあ、交通事故であっさり死ねたらラッキーなんて小学生の身で思っていたわけだし、流行りのストーリーのように美しく死ねるなら、と、幼い「憧れ」を持ってもいましたね。
余談ですが、今なら白血病の闘病が、どんだけ大変だかわかるし、それを乗り越えてコロナ禍による延長で出場できる可能性が出てきた
池江璃花子選手に辞退とか圧力かけた奴ら
ほんま人間の屑やなヽ(`Д´)ノ!
☆本日の癒し~ペットを捨てるやつは~☆
うちでマオを保護した当初の画像。
ペットを捨てるやつは「毒飼い主」でいいかな?
ちなみに「毒親」に育てられた子を「毒子」とか「毒娘」とか表現している読み物があったがあれは自虐にしてもやめてほしいです。
たしかに毒親のせいで何らかのゆがみを心に抱えている場合もあるだろうけど、たとえば猫や犬を遺棄するような、あるいは虐待するような「毒飼い主」に育てられたからってその猫や犬を「毒猫」とか「毒犬」とかいいますか?