イジメとイジリ(リライトver.3)

旧ブログにてタイトルにあるテーマで

記事を3部作の形で書いたことがあります。

その後、一つにまとめる記事を出し、

今回再びリライトさせていただいた記事です。

 

 

わたしの実母ですが、

彼女は、私の容姿、性格、能力、

はては箸の上げ下ろしのような日常の細かい行動まで

今はやりの言葉を使うと何でもディする人で、

そして私が中学生くらいまでは

感情のままに罵声を浴びせることもしょっちゅうでした。

 

しかし私が成長してくると、

力でねじ伏せる方法では簡単に屈服しなくなるし、

言いなりにもならなくなる、

すると次は皮肉や当てこすりなど、

暗にほのめかすような言動へとシフトしてゆき

いまでいう「イジリ」ともいえる行為も繰り返すようになりました。

そしてそれを私が怒れば「冗談がきかない」などと、

抗議した私の方を逆に非難しさらに貶めるような人でした。

 

他者を貶めてマウンティングをとらずにはいられない人間の精神分析

検索すればいくらでもあるのでここでは省きますが、

そういう人間の今の言葉を使うならディする行為

相手から指摘や抗議を受けると

「冗談」(今ならイジリ)と言って逃げて

逆に相手をさらに貶めるのってパターン化されているのですね。

 

いわゆるイジリの皮をかぶったイジメ行為を行う際の

テンプレ対応ってやつ!

 

 

 

このイジメとイジリの違いが取りざたされたのは、

芸能人の炎上騒ぎであったり、

会社や学校でのイジメをイジリといって

正当化する卑劣な行為が取りざたされたりしたからです。

 

イジリとイジメの違いについては

いじる側といじられる側の「信頼関係」が重要、

いじる側の「愛」が不可欠だという方もいました。

しかし、その「信頼」「愛」があるかどうかは

一体だれが判断するものなのですか?

 

テレビのお笑い芸については

いじられる側もそれで収入を得ているのだし、

番組を作る際に打ち合わせも行っているでしょうから

「信頼」「愛」もそこには存在するでしょう

 

問題はテレビなどで行われているイジリ行為を

一般視聴者がそんな番組の裏の事情をすっ飛ばして

他者の精神的苦痛に無頓着なままそれを行い

いじられる側に「笑って」受け入れることを、

上下関係や、いやゆる「空気」という

漠然としたものを盾にしておこなっていることです。

 

いじられて嫌な思いをする側が

そういう人物に対して、

この人はテレビ番組内で行われていることを

実社会でやっていいのか悪いのかすら区別のつかない

〇〇(お好きなけなし言葉をどうぞ)な奴だ!

と、心の中で軽蔑して受け流すという対応もありかもしれませんが、

日常生活でずっとそういうことをされ続けていればつらいですよね。

 

悪意がないのを言い訳にして

相手や周囲の批判を避けながら

自分以外の誰かをけなしていく卑劣さ!

しかも自分に反撃が及んで傷ついたりは

絶対にしないであろう相手を選んでいく狡猾さ!

それを「愛あるイジリ」などと正当化してほしくはないですね。

 

 

 

☆本日の癒し~テーマはないけど☆

 

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テーマはないけどかわいい子犬の写真をどうぞ('ω')ノ。