今週のお題「サボる」
「サボる」の語源
サボというフランス発祥のサンダルがあります。
もとはかかとのない農民用の木靴で、もちろんかかとがある靴に比べると速く歩いたりすることができません。そのため農民が仕事を怠けるためにそんな靴を履いているのだろう、と、勘繰られていたのです。
そして時代は進み産業革命から労働者や植民地への搾取があまりにもひどいので、ブームになった「共産主義革命」。
その中の労働争議のための行為として団結してストライキなど行うことを、このフランス原産の靴サボが語源の「サボタージュ」という語が生まれました。
それが日本語化して「サボる」という語になったのです。
『ワンピース』主人公の義兄サボ。
革命軍のナンバー2。
名前の由来は、作者が歴史をよく知っている方っぽいからたぶんそうなんでしょうね。
「頑張る」ことの影
サボるの反対語ってなんでしょう?
「一生懸命」とか、「がんばる」とか、かな。
昔は(今も)働きアリなんて呼ばれた日本人は「サボる」ということに罪悪感を抱きがち。
がんばりすぎるとウツの危険性のほかに、「がんばらない」人への無意識の反感が強くなります。
自分が「がんばっている」現実に対して、思う通りに動いてくれない周囲の人への当たりがきつくなります。
私はつねに「がんばる」ことを控えほどほどを心掛けています。
その根底には「一生懸命」に家事や子育てをやった(つもりの)母が常に八つ当たり要因として私に当たってきたことも原因です。
「がんばって」いる人というのは往々にしてがんばらない人間に対して厳しい<`ヘ´>。
がんばって「仕事」しているけど、対価として得るものに不満はある、でも我慢してるからがんばらないで、生活保護を受けたり(しているように見える)、ホームレスになったり(しているように見える)、やつらは「いらない」( `ー´)ノ!
これは「仕事」を「勉強」や「部活」、あるいは「自粛」に変えてもはまるでしょう。
好きなことに「がんばる」場合には、影はそんなに深刻にはなりません。
しかし、周囲の状況に押されてとか、本心ではそれをやりたくないのにがんばらざるを得ない場合ほど影は深刻になるのです。
人生やりたくないことを全て避けるわけにはいかないだろうからそこは難しいのですけどね。
以前アップしたメンタリストの記事です。
ホームレスの命要らない発言の後、非難を浴びましたが、彼の言うことに共感する人も一定数いて、諸外国はどうかわからないけど、日本の「がんばる」ことの影は深刻なようです。
☆本日の癒し~サボりのプロ?~☆
へそ天画像連撃('ω')ノ。
ソイヤッ!
サボっているように見えても一生懸命生きているのです(マオ)。