羽生選手の挑戦
フィギュアスケートの羽生結弦選手が先日の全日本選手権のフリー演技で、前人未到の四回転アクセルに挑戦しました。
着氷が少しみだれたので、キレイな形での成功とはなりませんでした。
それにしても高難度の技ばかり挑戦するから怪我も絶えないのよ、それでも挑む、それが羽生結弦選手\(^o^)/!
羽生選手はすでに過去の五輪で二連覇しています。
望む栄光はもうすでに手に入れている、さらにその先、ということで設定された前人未到の4回転半ジャンプ。
彼はそれを「夢じゃなくて目標なんで」と、言いました。
夢が夢のままならかなうわけがない
子供に対する人生の教訓。
「夢」を持つ大切さ、とか。
「夢」をあきらめてはいけない、とか。
JーPOPに至っては「夢」をとりあえず見ないで地道に足元を固め日々を送っている人々を、まるで侮蔑の対象でもあるかのような歌詞で「夢」を鼓舞する歌すらあります。
いっちゃあわるいけど、いつまでも「夢」を追っているだけの人間なんて一生それがかなうわけないよ。
「夢」として設定された事柄に対して、いつまでも「夢」って言葉を使うのは、要するにそれに向かって努力していないか、努力していても近づけてないから、いつまでたっても「夢」なんです。
近づいている人は、それがかなう射程範囲に入ったら「目標」とか「目的」とかいいますからね。
例を挙げるとフィギュアを始めたばかりの子が、あなたの夢は?と聞かれれば
「オリンピックでメダルを取ること」
と、言うでしょう、だが、成長して、世界で何度もタイトルを取るほどの選手になっていたら、それは「夢」ではなく「目標」に変わっていますから。
前々から芸能人を中心としたメディアが、ただ無責任に「夢」を煽るだけの風潮、先ほども書きましたがJ-popなどで、地道に生きている人たちを侮蔑して、あんな大人にはなりたくない的な歌詞の歌、とか、いい加減うんざりしていたところだったのです。
私たち五十代の人間が若かったバブル全盛期にはピーターパン症候群といってざっくりいえば「体は大人、心は子供」の男性像が揶揄されてました。
(某有名漫画の名探偵とは真逆ですね。)
芸能界などを中心にメディア関係者の勝手なふるまいを「やんちゃ」とかいって擁護したり、あるいは「心は少年」なんて、身近な誰かに絶対しわ寄せがくるような精神の状態を賛美するようなことをアピールして、そういった世代がメディアを通して「夢」を持つのは素晴らしいなんて言っている無責任さには少々辟易していたのです。
そんな中、羽生選手が「夢」ということの本質をつきながら語ってくれた言葉にはスッキリしたし感動もいたしました。
道を究めた者たちの「夢」
調べると羽生結弦だけでなく、ほかにも自らの道を究めた人物たちは似たようなことをおっしゃっているのですね。
夢は目指した時から目標に代わる
From羽生善治(将棋)
夢って言葉好きじゃないです、いろんなことは夢じゃなく目標ですから
From松坂大輔(野球)
☆本日の癒し~フィギュア選手由来の名を持つ子たち~☆
最後にうちのマオ(猫)とユズ(黒マメシバ犬)のじゃれあっている姿をどうぞ。
マオの由来は浅田真央と中国語で猫の発音(mao)。
ユズはもちろん羽生結弦。
マオが♂でユズが♀
うちの場合男女が逆なのだけどね( ̄▽ ̄;)…。
もういっちょ別の画像!
ではまた(^^♪。
余談ですが、本日12月27日は「ピーターパンの日」でもあったのです。