歴史トリビアですが、徳川家康は関ヶ原合戦の時、石鹸を大量に入手しており、それで負傷した兵士たちの傷口を洗うよう指示。
そのおかげで負傷した兵士たちの死亡率が大きく下がりました。
戦場にて衛生管理を徹底し負傷兵の死亡率を下げる、ヨーロッパにてそれを初めて行ったのは、クリミアの天使と称されるフローレンス・ナイチンゲールです。
関ヶ原の戦いより実に二百年以上後のことだったのです。
来年のNHK大河の主人公は徳川家康です。
関ケ原の合戦というとかなり後半になると思いますが、このエピソードをいれると家康の好感度爆上がりしそうなのですが、どうするNHKさん?
徳川家康は健康オタク、あるいは薬マニアといわれるほど、医療に関する知識が豊富で、薬の調合も自動で行っていたほどです。
家康が最後に天下を取ることができたのは、結局ライバルたちより長生きしたからだ、と、言われています。
それゆえに、天下と取るための「邪魔者」の死が家康による「毒サツ」なのでは?との黒い推測がなされているのも事実です。
関ケ原の合戦の前年のこと。
徳川秀吉の遺児秀頼の後見人の中で最も実力のあった前田利家が死去したので、家康が積極的に豊臣家を越えるアクションを起こし、合戦が起きました。前田利家が死去したのは家康が見舞いに来た翌日と言われております。
また関ヶ原の後、成長した豊臣秀頼と徳川家康が対面した場に、秀吉子飼いの忠臣加藤清正が同席していましたが、その会見の場から熊本への帰路、船上にて清正は急死しました。
う~ん(@_@)???
黒いと言われれば…、でもあくまで灰色ですよね、黒に限りなく近い…?
本人の健康とライバルの不健康(病気)がうまくかみ合って家康は天下をとれたわけですね。
話は変わって先ほどナイチンゲールのことでも話した欧州の公衆衛生の事情ですが、古代ローマでは上下水道が完備され、汚物の適切な排出は衛生の基本という考えがあったのです。
しかしキリスト教が浸透すると、科学的視点は否定され、街は不衛生なまま放置されます。かの華やかなロココ文化が広がったフランスパリの街でも、汚物を窓から投げ町は悪臭にまみれていたと言いますからね。そのような状態がペストなどの伝染病の蔓延を招いていました。
15世紀になるとルネサンスを契機に自然科学も飛躍的に発展しますが、19世紀イギリスのコレラの蔓延が顕微鏡にて井戸水が原因であることが発見されるまで、この状態はなかなか改まらなかったということです。
ちなみに本日10月15日は「世界手洗いの日」
ユニセフ、世界銀行からなる「せっけんを使った手洗いのための官民パートナーシップ」が実施された日です。
最後にシャボンに包まれて幸せそうに眠るマオの画像をどうぞ。
光の加減で色合いが違うけど、同じ時に違う角度から撮った画像です。
それではまた(^^♪。