本日放送の『どうする家康』では、家康の治める三河で一向一揆が勃発します。
先週のお話では、家康が寺社にも税をかけようとして反発を食らっているところが放送されました。
私たち現代人の感覚だと、一般庶民は所得税だのなんだの取られるのに、宗教団体は課税されてなくてずるい、と、いう風に思うので、家康がそんなひどいことをしたように見えないのですが、重い年貢にあえいで寺社に逃げ込んだ庶民が多くいた当時では、その逃げ込んだ先でも税取るのかよ、領主とんでもねえな、って気持ちになったのでしょうね。
税金優遇はさておくとして、日本人は宗教というと何か平和的なものを連想し、海外の宗教勢力がテロを起こしたりするのを異様なものを見るような目で見ます。
しかし、日本でも家康が天下を取る以前の時代には、宗教勢力は武装して場合によって戦いを仕掛けてくるのは当たり前でした。
さかのぼれば昨年の大河『鎌倉殿の13人』にも出てきた後白河法皇。
西田敏行さんが演じておられましたね。
その後白河院が思い通りにならぬものとして挙げたのが、
でした。
奈良時代に最澄がひらいた比叡山延暦寺は最高権力にも屈しない独自勢力として、武装している僧兵たちが存在していました。
時代は下り戦国時代に織田信長が焼き討ちして滅ぼしてしまうのですね。
信長は、彼らは酒色におぼれ、宗教者の本文を忘れていた、と、言います。
そして足利将軍の手紙に従い、武田信玄や上杉謙信らとともに信長包囲網を敷いていた主勢力でもあったので滅ぼしたのです。
一向一揆もまた家康のみならず、日本各地で農民たちの武装集団として領主を悩ませており、加賀(石川県)では領主を倒し、独自の支配体制を確立していました。
信長、秀吉、家康とも彼らとの戦いには悩まされていました。
秀吉は天下を取った後、うまく本願寺との戦いを避け、天満に領地を寄進することによって、今の大阪城のあったところから本部を移築させることに成功しました。
当時行われた刀狩も、本願寺を支える農民層の武装解除に役立ちました。
家康はさらに狡猾で、本願寺勢力を西と東に分断させ力を削ぎました。
そこらへんはどうでしょうね、大河ドラマで詳しく書くのかな?
戦国の三英傑の天下統一リレーにおいて、宗教をもとに集まった武装勢力をあの手この手で押さえようとしました。そして、江戸時代には、領地(収入)を保証することによって権力者には逆らわないよううまくコントロールできるようになります。
海外からやってきたキリスト教についてはやがて禁教となり、のちに重すぎる年貢の問題と相まって天草の乱がおきますが、それ以降、キリシタンでないことを証明するための檀家制度というものができ、寺社勢力はますます権力構造に組み込まれていくのです。
これは世界史的に珍しいことです。
宗教勢力が武力をもとに意を通そうとすることがなくなって数百年、世界ではいまだそれが当たり前であるところもあります。
その惨禍をみると、信長、秀吉、家康が成し遂げたことがいかにスゴいことなのかがわかります。
「にゃかぬなら どうすればいい? ホトトギス」
僕なら狩るな(マオ)。
アンタは鳴いても鳴かなくても狩るでしょ(ブログ主)。
それではまた(^^♪。