昭和ネコ令和を歩く

~Show a Cat walk in 00~

県名と県庁所在地の関係

「一都一道二府四十三県」

日本の行政区間都道府県の数を表した言葉です。

 

政治家の中にはこんな細かい割り方ではなく「道州制」にしろという方々もいますが、私個人としては、国のトップに立つ器量はないが、お山の大将になりたい奴がほざいているようにしか正直見えないのですね。

あくまで個人的な見解です。

 

なぜなら、地域によってブロック分けする「道州制」って徳川家康が天下統一する前の戦国時代か⁈っていう風にしか見えないからです。

 

秀吉及び家康が統一する前の日本では、中国地区は毛利、南九州は島津、北九州は大友、そして東北には伊達が主にそれらの地域で覇を唱えていました。

さらに少し前の時代だと東海が今川、甲信が武田、越後が上杉、畿内は狭いくせに信長が入るまでいろんな武将が入ってわちゃわちゃしていましたね。

 

せっかく家康が統一したのに、また戦国時代に戻す気かよ。

 

さて、日本の行政区間都道府県の話ですが、県名と県庁所在地が同じ名のところとそうでないところとありますが、それはなぜかご存じでしょうか?

 

これは明治維新の時、新政府側が幕府側についた側と新政府側についた側。

どれだけ時間がたとうとも、それが名前で分かるように、廃藩置県の時に定めたからです。

 

例えば明治維新の時に活躍した鹿児島県(薩摩)の県庁所在地は鹿児島市

その他九州のほとんどは県庁所在地と県名が同じです。

あと山口県(長州)は山口市高知県(土佐)は高知市

他の県を見ても、県名と県庁所在地の名が一緒のところは新政府側についた県と見なして差し支えないでしょう。

 

あの当時悲惨だったのが、幕府の大政奉還があってのち戊辰戦争の舞台となった東北地方です。

特に会津若松は歴史的要因もあり、幕府への忠誠心が厚く、白虎隊の悲劇などでもよく知られています。

十五代将軍徳川慶喜が巧みに新政府側と戦争を回避しているさなか、やはり戦って実権を勝ち取った形にしたい維新政府側の、生贄にされた感満載なのが会津若松とその周辺の県です。

現に岩手県の県庁所在地は盛岡市宮城県の県庁所在地は仙台市です。

 

会津若松のあった福島県はもっとえげつない処置を受けています。

当時地域の中心であった会津若松から、別地域の「福島」という地域に無理やり合併させられたので、今でも、浜通り中通り会津と三地域の交流が山を隔てられているせいもあって乏しく、県としては統一感にいまいちとぼしいと言われています。

 

新政府に対抗する奥羽列藩同盟に所属していたが、途中で寝返った青森県は県庁所在地青森市です。しかし、もともと仲の悪かった津軽氏と南部氏の領地を一緒にして形成されました。

こういう歴史的背景もへったくれもなしにかってに線を引いたあたり、欧米列強が中東の部族や民族の分布も考えず勝手に国境線を引いて、そのせいで今も民族紛争などが堪えなくなってしまったやり方に似ているように見えます。

 

やることが陰険すぎなのニャ!

 

都道府県制度が配されない限り永遠に続く名前の中に、かつての敵味方の区別を込めさせておくなんて陰湿にもほどがあるね。

 

最後にテーブルに乗っただけで天下取った気分のマオ。

 

それではまた(^^♪。