1952年5月10日は『赤毛のアン』が日本で刊行された日です。
今回は同じく児童向けの文学で、アンと同じく赤毛の子が主人公だけど、対照的な『にんじん』と比較してまいりましょう。

こちらはなつかしの日曜劇場の画面
友人のダイアナの容姿はこっちの方が好みだな(個人の感想です)
二つの有名な児童文学
『赤毛のアン』と『にんじん』。
どちらも赤毛でやせっぽっちの子供を主人公にしています。
一つは、血のつながりはないけど愛はある、もう一つは、血のつながりはあるけど愛はない、という真逆の条件を持った家で成長していく物語です。
二つとも赤毛の見た目で『醜い子供』認定されている子が主人公。
『にんじん』が実の母親の陰湿な精神的虐待が続き、主人公の性格にもゆがみが生じるのに対し、『赤毛のアン』の方は血のつながらない養育者の愛情に恵まれ、健やかに成長していきます。
アンの物語の見どころの一つは物語の終盤マシュウが言ったセリフですね。
もともとカスバート兄妹は男の子を孤児院から引き取るつもりだったのが、手違いで女の子のアンがやってきたことから始まります。
年を取って農作業がつらくなったマシュウにアンは、自分がもしマシュウたちが最初に希望していた男の子だったらもっと手伝うことができたのに、と言います。
それに対してマシュウのセリフ。
「わしは1ダースの男の子よりもアンがいい」
この素敵なセリフのあと、間もなくマシュウは死んでしまうのですね。
切ない展開です。
『赤毛のアン』ではそこが物語のクライマックスですが、NHKの『アン・シャーリー』だと、あと数回の放送で死にそう、いいキャラなのにな。
『にんじん』もアニメでも¥あったけど見ていてつらくなる内容、この二つを比べると、子供の心を育てるのに重要なものは何かわかるような気がしますね。
☆おまけ☆

赤毛の命の寝顔。
犬の場合、なぜか茶色の毛を『赤』といいます。
ちょっと引いてみるとこういう図だったりする💦。

ガラス越しにのぞくマオ。
もう一枚、最近のマオ。

キャリーケースに慣れてきたのか、時々、自主的に入って休むようになりました。
ごめんなさい、マジでパソコンの調子が悪い💦。
前回書いた赤毛のアンの記事を編集しなおそうとしたら、いきなり全部内容が消えたので削除しました。
反応が鈍いので、変なところで押したものが反応したりするみたいです。
それではまた。