今日は実家のきょうだい差別の話です。
日曜日に母の日を狙って毒親記事をまとめました👇。
母の言葉の暴力は多々ありました。
今回は弟との比較というところに焦点を当てます。
あんたは「失敗」だったからと…。
性格についても弟の方は朗らかでいいけど、私はどうしようもない、と。
(四六時中罵声を浴び、箸の上げ下ろしにも文句つけられ、それで朗らかでいられる子がいればお目にかかりたいわ!)
能力についても、成績は二人ともそれなりに良かったけど、弟のほうが一段上、運動神経も私だけダメと。
(ちなみに行った大学のランクは私と弟に大差なし)
そして容姿も私の方は見劣りがするらしいです。
子どものころからそうやって自分は弟に比べて、一段劣った存在であるとの洗脳を実母から受けてきました。
そして高校生の時ですが、母は私に対して、
「美捨は失敗したけど○○(弟の名)は…。」と。
陰で別の誰かにこっそり(それでも十分にひどいけど)ではなく私に対して面と向かって!
その「失敗」ってどういう意味ですか?
入った高校のランクが気に入らなかったってこと?
(学力のランク的には中の上か上の下)
それともわたしのすべてが気に入らないから、弟はそういう風にならないようにという意味ですか?
(ちなみに当時の私は「真面目」にくそが付くほどの生徒、素行が悪かったとかいうことは全くない。)
有名スケーター浅田真央さんと姉の舞さんの話で、母親が姉の舞さんに対し「失敗」だったといって、舞さんはぐれるようになった、とか。
確かに妹の真央さんのほうが有名だし私も好きですよ。
僕の名前の由来の一つだもんね(マオ)。
ただこの話を知って以降、真央さんの母親の美談は素直に聞けなくなりました。
母親の死後、舞さんは妹とは和解したって話がありました。
でも母親がまだ生きていたら、舞さんは真央さんとわだかまりなく接することができたでしょうか?
弟の結婚の話
母親の絶え間ない否定発言のため、自分に自信を持てない私はもちろん年頃になっても異性と付き合うとかそういうのに無縁だったのと対照的に、弟は大学時代に彼女ができてその子と結婚までこぎつけていました。
社交的なお嬢さんでした。
そして弟は母に対して
「家でやっているような口調でものをいうなよ」
と、くぎを刺したそうです。
母はそれを言われたことを笑い話として私にも言っていました。
確かに、母の家での口調そのままに嫁さんに何か言えば、いつものこととはいえ「嫁いびり」に聞こえますわな。
ただ、わたしはそれをずっと受けてきたのですよね、はけ口として。
私だったら傷ついても嫌な思いをしてもいいのか?
実の親子だから、なんて理由でそれを私が受けていました。
実家内の高ストレス状態で日常的に体調が悪くても、私の体質の弱さと根性のなさに帰され、我慢の限界を超えて爆発すれば、わたしの癇癪とだけで片づけられ、そういうどうしようもない性格という扱いを受けてきた、
そんな風に私を追い込む母の口の利き方を、弟たちも家の外の人間にやったら気を悪くしたり、傷ついたりするものだとわかっていたのです。
それでいながら、私がその言葉の攻撃を受けているのは笑ってすましていいことだと思っているということを思い知りました。
もちろん自分の「妻」を守るという意味では弟の母に対するくぎ刺しは合格ですよ。
でも母も弟も父も、私に対しては、罵声・暴言・嫌味に当てこすり、それに対してどんなに嫌な思いをしていても我慢するのが当たり前だと思っていたということです。
弟が離婚された後都合よく持ち上げ
結婚後同居するわけでもなかったので、弟の嫁さんに母も「裏の顔」は見せずにすみ、良い印象だけを与えることはできていたでしょう。
しかしそれでも弟は自分の行いが原因で離婚されました。
原因は「借金」プラス「妻に無断で仕事をやめる」。
営業職だったけど待ち時間の時にパチンコやりすぎて消費者金融に四百万ほど。
親に肩代わりしてもらったらしいです。
「なんでこんな子になったのかな?」と母。
それに対して父は、私が普通に結婚生活を続けていることをあげ、
「育てたうちの一人でもまともに人生生きているからよしとしなきゃ」
と、言ったことを、私にわざわざ母が電話で伝えたのです。
どの口が言うのですか?
さんざん人をこき下ろしてきましたよね。
いかに私の方が弟に比べて能力、性格、容姿、様々な点で劣った存在であるかを私にたいしてしつこく言い聞かせてきたくせに!
いまさら手のひら返して、妻に三行半突き付けられ、ギャンブルの借金(約四百万)を親に肩代わりさせた弟をディすってこっちを持ち上げられたからって
「やっとお母さんに認められた、うれしい!」
なんて思うわけないだろ!
逆に今までのことを含めて腹が立ったわ!
はっきり言ってそれまで本気で洗脳されていたからね。
なんだかんだ言っても、自分が弟より劣った人間であることに違いはないとか母親の発言のせいで思いこまされていたのだから。
そんな言葉の数々を言った本人はきれいさっぱり忘れて、人を持ち上げながら弟も一人になるからこれから何かあったらいろいろ力になって、と、言いくさってきました。
その当時、祖母の死やら、旦那が九州に帰りたいと勝手に話を進めるやらで気持ち的にも限界がきて、今までの気持ちを親に手紙で送りました。
しかしこっちの気持ちは全く通じずいまはほぼ絶縁状態となっております。
その件に関する話はまた後日。
マオのサービスショットもう一枚('ω')ノ。