昭和ネコ令和を歩く

~Show a Cat walk in 00~

住んで良い場所、交通の便とか、建物の質とか、人とかいろいろありますね

お題「「住んで最高だった」「住んで最悪だった」という場所」

まず住んで最悪だったのは、以前水道料金の支払いの仕方で記事にしたことがありますが、ここに来る前に住んでいた自衛隊官舎。

mishablnc.hateblo.jp

この記事では平成の時代に、銀行口座引き落としすらできなかった、ありえへん料金徴収の仕方を書きましたが、それ以外にもひどい個所がいくつも……。

 

場所が伊丹空港の近くで、空港が建設される当時は飛行機の騒音が取りざたされる場所でした。

その当時の対策で各戸に当時のクーラー(メーカーはダイキン)が設置され、そのままの状態だったのです。いわば年代物のクーラーが部屋に設置されていたのです。

好きにしていいというけど、実際まだ動く機会がすでに部屋に設置されているのに、いったいどうしろと?仕方がないからまだ動く、そのダイキンのクーラーよりずっと新しく性能の言い、エアコンを手放してそれを使用する羽目に。

でも、運転音はでかいし、動かすと異臭がするし、よくまあ、こんな機械を今まで誰も付け替えることなく放置していたな?

しかもそれ引っ越す直前にとうとうぶっ壊れたのよね。それで引っ越す前なのに、夏真っ盛りだから付け替えざるをえなかったり、本当に散々でした。

最初にそれを取り付けたところの責任が国なのか、空港なのか、自衛隊なのかわからないけど、それ以降放置で騒音対策やってあげた感が今でも腹立つしイラつくわ!

 

それから浴室ですが、もしかしたら私たちが生まれたころ(昭和40~50代)につくられたものなのか、人が引っ越す度の修繕が極めておそまつ!

タイルとかの目地につけるやつなどを使ったあとそれを排水溝にでも流しているのか、うちは誤解だったのだけど、お風呂に入り終わった後のお湯捨てが、排水溝の通りに道が狭くてめちゃくちゃ時間ががかりました。たぶんストローくらいの太さしかなかったんじゃないのかな?

こんな修繕の仕方をしていたら、いずれ排水溝が目詰まりしてしまうのに、前の記事に書いた水道料金の徴収もそうだけど、よく改めずにずっとこんなやり方続けていたものです。

 

まあ、悪いのは一番安いランクの低い部屋を希望した旦那ですけどね。

 

本来なら単身者が寝に帰るだけの仕様だったのでしょうね。

だからこんなにところどころ時代遅れの使いにくい仕様でそのまま放置しても問題なしだったのでしょう。十年以上昔の話なので、今はどうなのかわかりませんが?

 

 

逆に最高だったというのは、これまた同じく自衛隊官舎なのですが、先ほどの一つ前の愛知県にある物件でした。

伊丹付近の物件とは逆に立てたばっかりの新しい仕様だったし、とにかく交通の便がよかった。

歩いて行ける範囲内に、駅・役所・図書館・買い物のできる施設、などなどすべてがそろっていて便利なことこの上ない!

図書館だって今の阿蘇の田舎のちっとも新書が入ってこない、いついってもたくさん本はあるけど、読みたいものがない貧相な品ぞろえではなくもうちょっと蔵書数も充実していましたね。

 

さらに近くの河原は季節ごとに花が咲き乱れます。

普通の散歩道がここまできれい🌸。

 

同じ場所が秋の彼岸の頃はこんな感じ。

 

図書館や役所に通じる道のお花見シーズンの風景。

 

難を言えば男の人の話し方が偉そうで乱暴だったことかな。

 

祭りの時の歩行者誘導でも乱暴な物言いをされていましたし、ショッピングセンターに自転車止めてたらめっちゃ偉そうに絡んでくるじいさんいましたしね。

今の阿蘇の地域も、たまに偉そうな口の利き方の男の人(年配者に多い)に不快にさせられたことが数回ありましたけどね。

 

さすがにもう絶滅したかな?というか、していてほしいものです。

 

 

その点、マオ(♂)は紳士です。

黒猫チビ(♀)にも優しかった。

 

お膝の上のマオ。

全身を画面に入れ込むために反り気味で撮影せねばならず、腹筋きつかった!