今日の午前中のNHK総合で学校給食をテーマにしている番組がありました。
給食ですが時代によってずいぶん様変わりしていますね。
右下が昭和三十年代の給食、左上が現在の給食(FROMいらすとや)
私が小学生だった昭和四~五十年代の給食のイラストはなかったですけどね。
牛乳一つとっても三十年代は脱脂粉乳(お皿に入っている白いやつ)、私たちの頃はビンの牛乳で、今は紙パックです。
実は私は牛乳🥛自体苦手で給食の中でも嫌いなものの一つ。
脱脂粉乳に至っては超絶マズいとの評判ですから、もしその頃の子どもだったら地獄でしたね。
小学校に入って給食が始まったばかりの頃。
牛乳嫌だなと思っていたら先生が、
「牛乳飲めない人は残していいよ」
と、言ってくれました。
その時、いやいやながら半分だけすでに飲んでいたのですが、それならということで、それからは牛乳を残して、お残しの残飯のところに捨てていたのです。
わたしを合わせてクラスに三名いましたかね。
それがある日になって突然、先生が耳元で
「明日お残りだからね」
と、脅迫するようなことを言われました。
その日から牛乳お残しする人がいなくなりましたが、大人になった今思えば手段が陰険だなとつくづく思いました。
要するに真に受けて残した自分が悪いのですか?
こっそり耳打ちって手段がね。
私らが若いころの年配者って陰でこっそりしかりつけるのを「配慮」みたいな認識している人がいたけど、私の感覚ってちょっと違いますね。
叱った時に相手から恨まれたり、周囲から怖い人って見られるのを避けるために「あなたのためにわざわざ誰もいないところに呼び出してしかってやっている」って恩着せがましくいってから叱る人って多かったですね。
それ全然ありがたいと思いませんでした。
言い方をちゃんと考えながら相手に納得できるような言葉さえつむげば人前でも注意はできるのに、それをしないで、こういうずるくて陰険な手段を使う、あるいは高圧的にものをいう(今ならパワハラ)年長者(親、教師、上司)って本当に多かったです。
話がそれました。
もう一つ給食の牛乳の話。
今はわからないけど、私らの頃は運動会などの特別行事には牛乳がコーヒー牛乳になりました。
クラスでコーヒー牛乳が余ってほしい人といって手を上げさせると、普段牛乳が苦手な子が一人手を挙げたのです(私じゃないよ)。
そして、前述と同じ先生ですが「普段嫌いなくせに何を言っている」みたいな言い方をして、その子の立候補だけ却下しました。
私の考え方だと、苦手な牛乳がコーヒー牛乳になると手を上げてお変わり欲しいと思うくらいになるのはいいことじゃないかと。
先生の言い分もわからないでもない、先生が言わなくても、絶対そういう文句をつける子の一人や二人出て来るのは予想できますし…。
今は時々牛乳をコーヒー牛乳やフルーツ牛乳に帰るシロップが時々出るみたいですね、おもしろい!
牛乳そのものは苦手だけど、私もコーヒー牛乳は好きです。
(だから温泉からあがった後はあればの話だけど、牛乳じゃなくコーヒー牛乳選択。)
チーズとかヨーグルトとか乳製品も嫌いじゃないし、ようするに苦手なものを美味しく食べられる手段があればそれをどんどん生かせばいいじゃんって思います。
小学一年の頃から、そんな風に内心先生の意見にも異論を持っていたような子供は可愛げがないのかもしれませんけど!
☆おまけ~ミルク色の毛並み~☆
コーヒー牛乳色のブランケットに寝そべって。
それではまた(^^♪。
余談ですが、もう一つ給食の牛乳のトラウマで、牛乳を口に含んではみ出すように吹き出してそれを見せる子がいて、それが気持ち悪くて嫌でした。