昭和ネコ令和を歩く

~Show a Cat walk in 00~

許す(べき)ハラスメントについて

許すハラスメント、略して「ユルハラ」。

ブログ主が勝手に作った言葉です。

なんだかお腹の中身が急降下というイメージの言葉になっちゃってます。

 

他にもポジティブハラスメントの略「ポジハラ」っていうのもありましたね。

 

「許す」とか「ポジティブ」とか、その他もろもろの人間の「良い」性質や行為に基づいた行動や心の在り方の強要。

良さげに見える行為を心理的に押し付けられて「しなきゃ」と思って、気持ちドツボにはまったり、それをしない人間を責め立てる心ない言動をしたり、そんな罠にはまっている人の何と多い事でしょう。

 

 

人間社会あるある話 

昔何かで読んだ社会(心理)実験にこんなのがありました。

 

被験者に対しホテルのボーイにわざと無礼な態度をとってもらいます。

そして怒っている被験者に対し、

「実はあのボーイさんは家庭で問題があってカクカクシカジカ、昨日も家でカクカクシカジカ…。」

と、ウソですがボーイの抱えている事情を話すのです。

 

失礼の度合いは小さい場合は

「そういう事情なら仕方がないね」

と、怒りをおさめ逆にボーイへの同情を見せたりもします。

しかし、失礼の度合いがとてつもなく大きい場合は

「そんなこと私には関係ないだろ!」

と、さらに怒りを増幅させる結果となってしまったのです。

 

この話を読んだのが昔すぎて出典もわからないのですが、人間心理あるあるですね。

 

そして、ここからは私が考えた続きですが、とてつもなくひどい無礼を受けたBがいつまでも怒っているのを見て、ちょっとした無礼を受けただけのAが、

「もういいじゃない、ゆるしてやりなよ。」

とでもいったとしたら…。

 

さも自分のほうが寛大で徳目において上をいっているので、人格的に劣ったもののわからん奴に忠告してあげる、みたいな態度をとる輩、人間社会いるいるですね。

 

あとなんでも丸く収めて水に流せばいいと思っている輩。

 

いじめだろうと、DVだろうと、虐待だろうと、

「君にも原因があるんじゃないの」

「過ぎたことをいつまでも根にもたないで。」

「許しあうのが大事だよ。」

どういうわけか、強い立場で加害行為を行った側には何も言わないか、言っても申し訳程度にしか言わないくせに、被害者側の方には罪の意識を植え付けるような物言いで、親切に忠告している「つもり」の輩。

 

昔の村社会じゃそういうのが仲介役みたいな顔して、問題解決したつもりになるのが常だったのでしょう。

しかし、犠牲を強いられた弱い側は、限界を超えれば精神を病むかもしれません。

そうなったところで

「ああいうおかしな奴だから…。」

みたいな形で、村社会や今よりも人数の多い家族の中で切り捨てられられてきたのだろうな、と、思います。

 

傷ついた事実に目をふさぎ続けていると

昨今は「優越的な立場」に胡坐をかいて、相手の嫌がる言動をすれば「ハラスメント」が指摘されるようになり、弱い立場の者がやられっぱなしになるとかいうことが、あってはならないという「建前」が重んじられるようになりました。

 

あくまで「建前」は、というだけで現状は?

 

マスコミをにぎわす報道ですら、セクハラや性犯罪が起これば必ず「ハニートラップ」扱いする発言が、名前が番組の看板になる大物男性芸能人たちから出たりするくらいです。

そして、番組内でセクハラ発言をその大物芸能人がすればそれをうまくかわした女性ゲストに賛美の声が集まったりします。

国民の共有財産である公共の電波における放送がこれですから……。

 

セクハラにおいては、敵は男性ではなく、それがたいした問題になっていなかった時代を生きてきたおばさん世代も、被害を訴える若い女性をさらに傷つける言動をしたりするのが困った話です。

 

こういう現象は各種ハラスメントだけでなく「体罰」などでもありました

それによって自サツする子まで出たというのに、それでもその指導者のやり方を擁護し支持する者が確か2016年の桜ノ宮高校のバスケ部でありましたね。

 

ハラスメントであれ、体罰であれ、肯定したり擁護するような輩は過去に自分もそういう「指導」を受けてきたけど、叩かれたのは自分が悪かったのであって今は感謝しているとか言うけど、詭弁ですね。

 

誰だって何か自分に原因があったとしても最初に叩かれた時は痛かったはずです。

 

暴力(暴言)という手段でしか指導できない指導者のやり方を、子供という弱い立場で受け入れるしかなかった頃の心の傷に目をつぶって受け入れ(許し)続けた結果。

体罰による悪影響が明るみになっても、子どもが苦しんで自殺にまで追い込まれても、その手段を盲信するような「卑怯さ」と「愚かさ」につながっているのです。

 

セクハラを含む各種ハラスメントだって、最初にそれを受けた時の嫌な気分、それを受け入れず(相手を許さず)忘れなければ、同様の被害を受けた若い人たちをさらに追い込むような言動をするのではなく、自分たちの時代には不可能だったけど一緒に改善していこうという発想になりそうなものですけどね。

 

過去のことを許さないというとしつこい印象を与えるけど、傷つけられたことを許して受け入れたことによる弊害は自分のみならず、自分の後から続く若い人たちに対して重大な害悪を与えているということは、昭和を生きた私と同じ世代の人間には特に気づいていただきたいですね。

 

☆本日の癒し~自宅警備員マオ~☆

僕が庭を守らなきゃ(マオ)!

 

虫さんたちが表に出て来るようになってから庭のパトロール時間が増えました。

 

それではまた(^^♪。