昭和ネコ令和を歩く

~Show a Cat walk in 00~

文春(週刊誌)が正義を担っているのが問題なのではなく、テレビや新聞が正義を担えなくなっていることの方が問題だ

文春砲という言葉があります。

政治家の醜聞やゴシップ系の中では少々お堅いものも扱う週刊誌の報じた記事が、政治家や著名人の社会的声明を抹殺するほどの威力を発揮するケースが多々あるので、言われるようになった言葉です。

 

最近では松本人志の醜聞が問題視されていますが、文春正義面って言ったら、松本のうさん臭さが消えるとでも思っているのでしょうか。

 

そもそもは「社会の公器」たる新聞や、国民の財産である公共の電波を安価で使わせてもらっているテレビ局が、担うべき正義をちゃんといなっていないところに問題があるのではないですか?

 

*用語解説「社会の公器」-公共のためになる存在という意味で新聞をはじめとする報道機関のことを刺しているが、もっぱらその資質に疑問を投げかけるときに使われる。

 

「正義」と言っちゃうと胡散臭い場合もあるけど、それぞれの業界において果たすべき社会的使命やその業界がやってはいけないことっていうのはあるし、それをやっちゃうことは、やはり「正義」に反した振る舞いになってしまいます。

たとえば、食品関係の会社が産地や消費期限など偽装表示をしちゃいけないように、報道関係なら、自らの利害関係をもとに報じるべき権力者の悪事をスルーしてはいけないでしょう。

 

それに最近なら、もう少し女性蔑視的な旧弊を排除した報道内容や出演者の起用を考えるべきではないでしょうか?

 

その点で松本人志を「天才」と持ち上げて起用し続けるのは果たして正しいことだったのでしょうか?

 

吉本の先輩芸人の横山やすしが「悪質な笑い」と評した「いじめ芸」なんてものを、公共の電波を使って垂れ流してきたこれまでのテレビ局の姿勢も疑問に感じます。

(ジャニーズ同様、松本の狂信者らは告発した女性をセカンドレイプまがいの書き込みで貶めていますが、さすがはいじめ芸の信奉者たちですよね。)

 

ジャニー喜多川の性加害の問題にしても、何十年もテレビメディアはダンマリを貫いて被害者を増やしてきました。

その間隙を縫って芸能事務所と利害関係の薄い文春がその件を報じ、それを海外メディアが取り上げて社会問題化されました。

 

 

 

松本人志の件でも明らかに吉本興業への忖度を一般の国民としては感じますよ。

 

裁判で白黒というが、裁判で決着つくのは名誉棄損が認められるかだけでしょう。

以前の記事でもジャニー喜多川が20年以上前に文春を訴えた性加害きじでの名誉棄損裁判について書かせていただきました。

mishablnc.hateblo.jp

イカガイは認定されているのに、それを大手メディアがだんまりでいたせいで……。

 

この事件においての双方の齟齬は、社会的上位者が感じる「同意」と、下の者が感じる「同意」とには大きな開きがあることではないでしょうか?

そして、そういうことに気づかないままふんぞり返って、後輩たちに女性の「調達」をやらせていた松本人志とその周囲の人間たちの女性蔑視的な視点。

そういう視点を持った人を、今後もテレビで使い続けるために、「裁判」をよりどころに松本や吉本にすりよるような意見を報道で発信しているのを見てもシラケるんです。

 

すり寄ってきてくれて可愛いのはネコだけ。

 

女性使って上司(松本)にすりよっていたとか(>_<)……。

あがっている名前見たら、誰?って思うくらい、上にすり寄らなきゃテレビに出してもらえなさそうな人も多く見たけど。

 

それではまた(^^♪。