今週のお題「秋の空気」
10月22日、祝・即位の礼\(^o^)/!
女性皇族方の十二単、きれいでした。
天皇陛下のお衣装も「黄櫨染御袍」(こうろぜんのごほう)といって、太陽をイメージするお色だとか。
平安絵巻のようなさまも素敵だったけど、さらに遡って飛鳥時代とか古代日本のお衣装を身に着けたさまも拝見してみたい!
なんていったらぜいたくですかね?
実は古代史ファンなもので('◇')ゞ
秋の天智と初夏の持統
秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ
古代史の代表的な英雄、天智天皇作として、百人一首の一番目の歌としておさめられております。
娘の持統天皇の作も二番目の歌としておさめられています。
春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
彼女が生きていた時代は十二単はなかったのに、絵札ではそれを着せられています。
わたし、百人一首って言うと坊主めくりしかしたことないです('◇')ゞ。
話を歌に詠まれた季節の話に戻すと、誰それの代表的な歌ということで定着すると、そしてそれが特定の季節の様相をあらわしていたりすると、その季節のイメージ、イコール読み手の性格みたいな気がしてくるものです。
秋が好きと言い切った額田王
過去記事にて ⇧、
兄(天智天皇)の後宮に行っても思いを秘めることのできない弟(天武天皇)とそれにこたえる額田王の歌を紹介したのですが、
君待つとわが恋ひおればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く
(すだれが動いたのであなたが来てくれたと思ったらただの秋の風でしたわ)
古代は女性の家に夜だけ男性が訪れる妻問婚でした。
天智が来てくれたと思ったのに、ただの秋の風でがっかりしたという思いが込められているのですね。
額田王は宴席にて春と秋とどっちがいいか競わせる試みで、春と秋、両方の良いところと残念なところを挙げながら最後に、私は秋、と、言い切った歌を残しております。
冬ごもり 春さり來れば 鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ 咲かざりし
花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取り手も見ず
秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば
置きてそ歎く そこし恨めし 秋山われは
梅好きの父と撫子好きな息子
時代は下って奈良天平時代。
「令和」という元号のもととなったのは、大宰府に派遣された大伴旅人が開いた「梅花の宴」
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも
梅の木が中国大陸から日本に入ってきたのが7~8世紀。
梅の花を肴に宴を開いて歌うのは当時としては最先端の催し物だったのでしょう。
上記の旅人の歌とあわせ三十二首が万葉集の載せられています。
元号をきっかけに有名になった旅人の息子で、万葉集の編纂者の一人とされる家待のほうは秋の七草のひとつ撫子が好きだったようです。
万葉集にある撫子の花、26首中12首は家持が詠んだ歌です。
なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけぬ
(恋しい人が撫子の花であれば毎朝手に持っていとおしむことができるのに)
秋さらば見つつ偲へと妹が植えしやどのなでしこ咲きにけるかも
(秋になったら見て私を思い出してくださいと亡き妻が庭に植えた撫子が咲いている)
ヤマトナデシコという日本女性を表す言葉がありますが、その元を作ったのは大伴家持かもしれませんね。
ではまた(^^♪。