9月27日は「女性ドライバーの日」です。
由来は1917円(大正6ねん)の9月27日に日本女性が初めて自動車免許を習得した日だからです。
栃木県在住の渡辺浜さん(当時23歳)が東京に上京し自動車学校に通って一発合格。
運転技術のすばらしさに試験管も舌を巻いたほどだったとか。
いやはやこんな記事を書いている私とは全然違う人ですね。
それから百年以上の月日が過ぎ、私はともかくとして、女性ドライバーの数もその当時とは比べ物にならないほど増えました。
私が運転を避ける原因の一つとして、前回記事での旦那の運転中の暴言や、煽り運転を一部肯定するような言動があったことを上げました。
前を走る遅い車や、進行を邪魔する歩行者への暴言の数々(ーー;)…。
単にスピード感覚や物事に対する反応速度の違いでは?
と、思われるドライバーに対する罵詈雑言。
結婚以降ずっと聞かされては、ちょっと運転技術が未熟だっただけであれほど悪意を向けらえるものなのか、と、聞かされている側は認識してしまいます。
それで飲み会の時にちょっと車を出して迎えに他所の奥さんは来てくれるのに自分は来てくれないとか。
病院の送り迎えですらできないとか。
自身の暴言のつけは自分でしっかり払ってほしいものですね。
暴言を棚に上げて運転をしない私へのねちねちとした言いぐさ!
ダブルスタンダードもたいがいにせえや!
そしてもう一つ看過できないもの、
それが「あおり運転の正当化」です。
簡単にいうと「あおられる側にも原因がある」って言い分ですよね。
どっかで聞いたようなセリフ(´・ω・)? 。
デジャブー感、半端ないです。
あれですね、いじめられる側にも原因があるとか言う
いじめに対する卑劣な自己正当化です。
数年前の岡山トヨペットの調査記事ですが、最も煽り運転被害にあいやすいのは刑に乗っている女性。なるほど、高そうな車に乗っている筋骨隆々の男性では怖くて煽れないのでしょうかね。
煽る側の心理を一理あるように言う人がいます。
最近では煽り運転が犯罪という認識が広がったので、あからさまな肯定はしないで、「あおる行為を肯定しちゃいないけど」と、言い訳してから言うところがちょっといやらしいです。
言い訳しながらも卑劣な行為にお墨付きを与えたいだけじゃないのって思います。
煽り運転にかかわる記事の中にも
「あおり運転を受けないために心がけたい運転マナー」
というものがあるが、それって
「いじめを受けないための心がけたい対人マナー」
っていうのと同じようなものじゃないの。
いじめも受けやすい性格がどうちゃらとかいいます。
でも、頭のいい人は頭の良さを理由に、悪い人は悪いのを理由にいじめられます。
明るい人は調子乗っている、おとなしい人は陰気だからと、それをいじめの理由として正当化されます。
いじめる人の属性に対するイチャモンなどは、いかようにもつけられて、要は反撃してくる恐れのない相手を選別しているってことが共通してるんですね。
参考にどうぞ。
個人的な話に戻ると、ただ不慣れである、あるいは下手であるがゆえに、他人に悪意を向けられてそれについての恐怖や悔しさも、わかってくれないような人しかいない家で他人を傷つけ自身の人生を狂わせるかもしれないリスクのあるハンドルなんて、握る気にはなれませんね。
☆おまけ
庭の暴走族、外ではやるなよ。
☆もう一つおまけ
お散歩の時も安全に。