今一度『アナと雪の女王』の「ありのまま」を考察する

前記事の続きです('ω')ノ

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前回は筆者のオリジナルストーリーにて

バラの花がバラらしく、ユリの花がユリらしく

あるいはスミレの花もスミレらしく生きることを

否定された「花園」の末路のようなものを描きました。

 

それは生まれ持った能力(特質)と否定され育った

エルサの状況とよく似ていたからです。

 

 

 

 

今一度「ありのまま」談義

ちまたには「ありのまま」という言葉に対し、

ネガティブな言及をされる方もいます。

 

そういう方々の言う「ありのまま」とは

「ダメなままの自分」あるいは「努力しない自分」を

「ありのまま」と解釈しているのではないでしょうか?

 

そういう方々の言う「ありのまま」と

本人の持つ性質を最も影響力のある大人にすら否定されてきた

エルサに象徴されるような境遇にいた人たちが語る

「ありのまま」は違うのです。

違ったまま話をしてもいつまでたってもかみ合うことはないでしょう。

 

エルサのように自分の特質を否定されることを

味わうことなく育ったのならそれは幸運だったということでしょう。

 

エルサの変化

『アナ雪』ではエルサが誤って妹のアナを傷つけ

両親ととともにトロールのところに出向いたとき

トロールはエルサの能力のことを 

 There is beauty in it.But also great danger.You must learn to control it.Fear will be your enemy.
とても美しい力だが、大きな危険も秘めている。力を抑えるのだ。恐れが敵となるだろう。

 日本語訳では「抑える」となっていますが、

原文の英語の「control」(コントロール)の意味は

「制御する」「支配下に置く」「ちょうどよい具合に調節する」だから、

この日本語訳だとニュアンスが少し異なるんじゃないの?

 

でも両親がそれを聞いてやったことは文字どおり

「抑えるために隠す」ということでした。

 

それで本当になんとかなると思っていたのでしょうかね?

まあ、両親自体、エルサの能力をどう扱ったらいいか

見当もついてなかったというのもあるのだろうけど…。

 

両親の死後、能力の存在がばれ、

人々や妹アナの前からも姿を消したエルサが歌うのが

例の「Let It Go」(ありのままの)でした。

 

しかしこの時点でエルサが「ありのまま」をさらけ出せるのは

誰もいない一人きり(Alone) の時だけ、

少なくともエルサはそう思い込んでいました。

自身の能力を忌むべきもの、隠すべきものとして扱われてきたがゆえに。

 

I belong here.Alone.Where I can be who I am without hurting anybody.

私はここにいる。1人で。自分でいられるし、誰も傷つけないで済む。

 

エルサの言葉です。

 

思い込みを捨て去り一人でひきこもる状況から出ていくには

妹アナの捨て身の行動が必須でした。

 

自分の能力が決して忌むべきものではなく、

誰かに受け入れられたことを知って初めて

エルサはトロールの言った

「美しい力をコントロールする術」を知るのです。

 

パート1はここで終わっていますが、

今度の2のストーリーは能力をコントロールすることを覚えたエルサが

どんな風に困難と立ち向かっていくか?

と、いうことが語られるのかな?

 

とてもきれいな映像のようなので楽しみですね。

 

☆本日の癒し~ありのままの♪~☆

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~ありのままのヘソ天見せるのよ~♪

~ありのままのヘソ天で寝るの~♪

 

替え歌ですが名曲を汚すな、といわれるのじゃないかと心配(ーー;)。