昭和ネコ令和を歩く

~Show a Cat walk in 00~

対照的な赤毛の子供の物語 ~『赤毛のアン』と『にんじん』~

12月に入り現ブログ運営も半年になりました。

もともと2月からはてなに入りブログを書き始めたのですが、

6月に古いブログを閉め、今のブログにリニューアル。

古いブログでは「にんじん」をイメージキャラにしていましたが

今回はそれに関する物語についてお話いたします。

 

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二つの有名な児童文学

赤毛のアン』と『にんじん』

どちらも赤毛でやせっぽっちの子供を主人公にしていますが

一つは、血のつながりはないけど、愛はある

もう一つは、血のつながりはあるけど、愛はない、

という真逆の条件を持った家で成長していく物語です。

 

イメージキャラにしていたくらいだから

どちらもそれなりに思い入れがあります。

 

 

赤毛のアンへのシンパシーと憧れ

まず『赤毛のアン』ですが主人公アンの

物語が好き、想像するのも好きという心情も共鳴できるけど、

外見的特徴も赤毛であることを除けば私はほぼ同じなのです。

子供のころから極端にやせていて

幼稚園の時、先生から親に

栄養失調なのでは?と問い合わせがあったらしいです。

 

今なら虐待を疑って児相にまず通告だろ、

そこらへんに対する意識は低い時代でしたね。

別に食べさせてもらってなかったというのではないのですが。

(愛情遮断症候群か?)

 

その他にもおでこが広いとか、

顔の輪郭もふっくらというより面長

親友ダイアナのふっくらとしたバラ色のほほを

アンがうらやましがるところがありますが

わたしも子供の頃はほほがふっくらしてないことを

顔の残念ポイントのように執拗に親に指摘され続けていました。

 

にんじんとのかなしき共通点 

続いては『にんじん』のほうですが、

これはアニメのほうしか見ていなくて

本は現在に至っても読んでいません。

アニメでは母親と兄弟たちに散々いじめられ、

そのことを学校の作文に書き学校の先生が心配して家を訪れ

それを家族に話し母や兄弟は反省をするが、

にんじんとあだ名された主人公は自殺をしてまっていた

と、いう衝撃的な結末を記憶しています。

 

ウイキを調べると自殺というのは話の途中で(つまり未遂?)

その後も続きがあるらしいのです。

 

アニメ内では先生が家を訪ねて

虐待の事実を書いた作文を家族に見せる展開で、

なんか虐待死した心愛ちゃんの訴えを

父親に見せたとんでもない対応を思い出すな。

 

そんなことで虐待の張本人は反省なんかしないのね。

そこらへん、アニメを作った人の

お花畑な感覚が出ていたのかな…。

 

こちらは家庭環境が自分の育った家にそっくりなのですね。 

母親の暴言や父親のそれを黙認してきた態度を

某サイト(2チャンネルじゃないよ)に書き込んだところ

まるでルナールの「にんじん」みたいだ、

との指摘を受け、自分もなるほどな、と

思った経験があります。

  • 母親 虐待の主犯
  • 父親 傍観者
  • 兄弟 母親の非情な振る舞いの尻馬にのっていじめる 

 

小説ではきょうだい構成が兄と姉+主人公、うちの場合私+弟という点、

小説の解釈で、父親は

母親がニンジンを虐待するのを黙認していたけど、

愛情はあったんだよ、という風な読みをする人もいるようです。

うちも黙認するだけで愛情はあるのかと思いきや

母親が娘をサンドバックのようにいたぶっても当然、

文句言う方が許せない、と思う程度の「愛情」でしか

(そもそもそれを「愛情」というのか?)

実はなかったのですね。

違う点といえばそのくらいかな。

 

アンはもう一度読んでもいいがにんじんは…

『にんじん』という小説は調べてみると虐待の仕方が壮絶で

昔のアニメで描かれたいじめとかはかなり毒を薄めてたのでしょうね。

 『赤毛のアン』シリーズ全十巻はこの前図書館で見かけ

昔読破したのですが、また読んでみようかな、って気持ちになる、

でも『にんじん』はつらすぎてちょっと無理でしょうね。

 

赤毛のアンの話は主人公以外の人物も素敵で

特に感動的なのはマシュウの台詞

「男の子1ダースよりわしはアンがいい」

もともと男の子を孤児院から引き取るつもりが

手違いで女の子のアンがやってくるところから始まるストーリ、

育ての親マシュウも年老いて農作業がつらそうなのを見てアンが

自分が男の子だったらといったのに対して言った言葉です。

 

 

私には成長していく過程において

マシュウのように自分を肯定し受け入れてくれる存在はいなかった、

自分と似たアンという女の子が美しく幸せになっていく物語

プリンスエドワード島の美しい自然の描写と相まって

読むだけで幸せになれるのだけど、

現実は『にんじん』のような自分をいたぶる冷たい人間たちが

”かけがえのない”家族でござ~い、という

社会的な制約の中で生きなければならなかった。

 

アンになりたかったけどにんじんに過ぎなかった、

そういう思いから旧ブログでの名前が決まっていたのですね。

 

☆本日の癒し~赤毛マメシバ~☆

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 犬の場合、どう見ても茶色なのに「赤」というのですね。