今週のお題「二十歳」
成人の日、それは、かつては元服の儀が小正月(1月15日)に行われていたことにちなんでできた国民の祝日。
その後ハッピーマンデーという三連休を増やしたいというだけの、誰得なのかわからない理由で1月の第二月曜日に移動させられました。
現在の式典は自治体によっては帰省者が多くいるという理由で、「成人の日」ではなく正月休みに行われるところもあったり、元祖の意味はもはやどこ行った?状態。
毎年、はかま姿で成人式であれまくるどこかの自治体の式典がテレビで紹介されたり、大人になったという証の式典が、童心に帰って楽しむのがツボのディズニーランドで行われたり…。
女子にとっては振袖を親に買ってもらい、本人も着付けやそれを身に着けている間の体力的な消耗を余儀なくされながらも、同窓会的な集まりに興じるイベントとなっている、と、いう感じでよろしいでしょうか?
三十年以上前の話になりますが、成人式の振袖も出席もわたくし経験しておりません。
理由は、私自身がいらないといったから。
なぜいらないといったか?
それは大学に入学して以降、ことあるごとに学費がどうのとお金の話をするので、
(弟に言うのは聞いたことないけど私がいない時に同じこといっていたのか?
いや、私に対しては誰が聞いていても露骨に嫌味っぽく言っていたよね。)
なので、振袖が欲しいといって買ってもらえばさらに何を言われるかわからない、と、いう判断があったからです。
この理由に関しては今まで誰にも話したことがない、初めて明かすことです。。
で、振袖もないし、ドレスのないシンデレラのノリじゃないけどもともと同級生からも軽くみられる今でいう陰キャというやつだったので、行きたいという気持ちにもならずそれも欠席。
仲のいい子がいなかったわけじゃないので、別の機会に再会したときに、成人式の時来なかったからどうしたのかな?と、いわれました。
別に買ってもらわなかったことについては根に持ってはいません。
むしろ結婚時にやはり頼んでいないのに着物とか持たされ悪いけど邪魔!
「母の心」って言っても、そこの根にあるのが、祖母が着道楽だったらしくそれには湯水のようにお金を使っていたくせに子供(つまり母とか)には金をまったくかけてくれない 、結婚のときの準備もろくにしてくれなかったらしい、
それに比べてどうよ、これだけのことしてやってるのよ、的な…、
言葉の暴力&八つ当たり、嫌み、当てこすりetc。
今でいうなら子供の自己肯定感はズタズタにしてきたくせに、自分は祖母と違って子供の心を考える「いい親なのよ」ってイメージのために別に要らないものを押し付けられてもな(ーー;)…。
現在私の手元には、祖母の遺品として受け取った着物。
母が買った着物、自分がその後少しそろえた着物。
(と、それに伴う和装小物)があり、過去に買い取り業者に頼んでみたら二束三文でしたわ(;一_一)…。
メルカリにもぼちぼち出品しているのですが、売れたのは自分が安価で買ってみたおしゃれ半幅帯だけなのよね(今の段階では)。
着物の話から、祖母、母、私のあまり幸せではない関係性を浮き彫りにするとこができました。
それは着物という代物がお値段的にも品質的にも一代限りで着つぶして処分できるような代物ではないので、関係性まで透けて見える素材となってしまうのでしょう。
だいたい和装業界もね、布地一つ作るのにとてつもない手間と技術がかかるのはわかるけど、それを着用するのですら技術と知識が必要で、しかも品質を保持するためには半年に一度の「陰干し」が必要とか、そんな手間ひまかけなきゃならない代物では、機能性に優れ安価な洋装にかなうわけないじゃないか!
着物は一代限りではなく娘さんに伝えられるものだからなどと言葉巧みに人の情をもつくけど
(成人式の振袖なんてその気持ちをつく絶好の機会なのだな)
伝えられる娘の方がどんなライフスタイルを望むかわからないし、純粋に好意で伝えたにせよ場合によっては、負担以外の何物にもならない可能性もあるのに、数十万、場合によっては百万以上の金を使わせておいて、手放すときは二束三文て消費者馬鹿にしてるの?
親が買ってくれた着物を断捨離する方法。捨てることで幸せになる方を選ぶ
実を言うと私は着物の布地とかは実は嫌いではない、むしろ好き!
どちらかというと振袖のような金襴緞子より紬のような渋いのが好み、だから伝統や技術そのものは評価しているのだけど手元にある着物はもう、やっぱりいらんね ( `ー´)ノ
必要な手入れの陰干しひとつとってもニャンが自由に行き来する家の中でできると思っているのですか?
(プラスやるのもめんどくさいし)
えっ!ボクのせいなの?(マオ)