許すとか、大目に見るとか、あるいは笑ってすませるとか。
そういう行為、あるいはそれができる精神状態を「寛大さ」というのでしょう。
他人に対して「寛大」な精神状態を保つため個人が努力するのは尊いです。
でも世の中には上から目線で他人に「寛大(寛容)さ」を求める人々もいるのですね。
モラハラマニュビレーターというやつです。
マニュビレーターというのは他人をずるがしこいやり方で操作したり、貶めたりしようとする人間のことを言います。
これを個々の生活の中だけでなく、公的なシチュエーションの中でやらかす輩が著名人の中には多くいます。
- 「赦し」だの「許し」だのをやたら強調するスピリチュアリスト
- 韓国や中国の言動に日本人が傷ついていることは無視して、それらの国を嫌う人間の人格を貶める左翼メディア
- 自分たちがやらかした不祥事棚に上げて、上から目線で一般人の拒絶反応を批判する芸能界
彼らは彼ら自身のよからぬ言動について一般人がどう思おうとも、メディアへの起用も各種団体の人事も外交も、全部うちうちの都合で行うだけだからガタガタぬかすなと言いたいだけでしょ。それを「寛容(寛大)」なんて語を持ち出して、言葉を発信するのはいい加減にしていただきたいものですね。
それでまた、政治家が性懲りもなく同じようなことをやらかしたみたいです。
7月18日にツイッターを除くと「#私たちは寛大すぎる」というハッシュタグが、トレンドの一つにありました。何事かと思えば、桜田元五輪相が要約すると、若い男が結婚できないのも少子化なのも女性が寛大じゃないからだ、みたいな物言いを、先だっての選挙演説でかましていたからなんですね。
桜田元五輪相ってこの発言以前にもやらかして、五輪相辞任したのだっけ?
いろいろありすぎて覚えてませんわ。
ただ、またかよ、と、うんざりするような政治家や著名人の言動の五輪関係者の含有率が、けっこう多いのはなぜなんでしょうね?
まあ、それはいいとして、結婚って「寛大さ」でするものなの?
日本語の使い方からしてまずおかしいです。
結婚しない女は、男に対する「寛容さ」が足りないけしからん存在という認識が深層心理にあるから、そんな発言が出て来るのでしょう。女性蔑視発言の東京五輪の森元会長が、別のところで子供を産まない女性を、好き勝手生きてきた「わがまま」な存在扱いしたのと五十歩百歩といったところでしょうか。
☆おまけ~今日のマオ~☆
今日の大雨の中、お外で遊べなかったマオが、ブログ執筆中もかまって攻撃してきて困る💦。
猫を飼うことは「寛大さ」を育てる一助となるような気がします。
それではまた(^^♪。