熊本にて水俣病とは
昨日土曜日テレビの情報番組にて、ジョニー・デップ主演の映画「MINAMATA」がランクインしていたと報じられていました。
水俣病の被害の実態を写真で世界に紹介した、ユージン・スミスというカメラマンの物語です。
四大公害病の一つ水俣病の舞台となった水俣市は、熊本県南部の海沿いの地域にあります。
水俣病を含めた公害病については、小学校の社会の時間に習った程度の知識しか私はありませんでした。
でも、熊本に越してからは、夕方のニュース番組などでもそれはもうよく扱われていたのですよ。
今も続く裁判とか、患者が世界で講演を行ったとか、また水俣ネタ?なんて思うほどにね。(ただ令和になってからは扱う頻度が減ってきたように見えるのは気のせい?)
ざっくり説明「水俣病」
細部まで詳しく説明するのはブログの分量的にも、ブログ主の力量的にも難しいので、ざっくりと説明します。
発端は1954年。
異変は猫が次々と狂い死にした事から始まり、その後人間の方にも変調が現れ病を発症。
そして1959年、熊本大学が病の原因はチッソ(企業名)が垂れ流す工場排水の中のメチル水銀が原因と確定。
しかし国及び企業はこの発表を無視。
1968年、それによって生産されるアセトアルデヒドが社会的に必要なくなり、利益を産まなくなったのでチッソが生産をやめ、その後厚生省はそれを公害病と認定したのです。
つまり大学が「奇病」の原因をチッソが流す水銀まじりの汚水と特定しているのに、企業は利益追求のため生産をやめず、国はそれを容認していたというわけですね。
まずここまでが公害病認定の大まかな流れです。
現在アラフィフの者が小学時代に習っていた公害病。
ここをまず知らなければ、いつまで騒いでるんじゃ( `ー´)ノ!
という感想だけになってしまいます。
ひどい話はまだまだ続くのですけどね"(-""-)">゜)))彡。
Wikiの記事張っておきます👇。
どこにでもいるアイヒマン
アイヒマンというナチスドイツの親衛隊員で、戦後裁判の後絞首刑に処せられた人がいます。
私がこの名を知ったのは森友事件の時に、この名を引き合いに出している記事をいくつか目にしたからです。
アイヒマンは裁判においてユダヤ人の虐殺にかかわったことを「指示に従っただけ」と証言しました。
あれほどの虐殺を「指示」「命令」。
それだけで何の疑問も持たずに実行できてしまう!
実行してきた彼自身、鬼のような豪傑でもなく普通のしょぼい小役人のような人物だったとか。
ハンナ・アーレントは彼の所業を「凡庸な悪」と評しました。
自らの判断や思考を停止し、だからこそ、官邸の顔色のみをうかがった公文書改ざんも平気ででき、それを部下にパワハラ交じりで強要し、自殺に追い込んでも罪悪感を持たないでいられる。
森友問題での官僚の行いにアイヒマンを引き合いに出したのは、そういうところに共通点が見られたからでしょう。
まあ、私も、このアイヒマン的な人々と言えば阿蘇畜産クラスター事業の問題で目の当たりにしました。
補助金が欲しい強欲な企業。
政策に対する成果を数字で表したい役人たち。
手続きに必要な決定をせっつかれた農業関係者。
よってたかって住民の生活環境まるっと無視。
タイトルにもあるけど、周辺住民の同意などは書類を通すためのポイントには入ってないから自分たちは間違ったことをしていない、と、説明会に出席した県の担当者は堂々と言ってのけました。
ユダヤ人虐殺や水俣病の傘下に比べると規模も被害の大きさも小さいかもしれませんが、上が定めた基準に従っただけなのだから、何が悪いと言わんばかりの態度でした。
そこに住まう者たちの環境を壊すことをいとわない、熊本のアイヒマンは絶滅してなかったようですね。
皇室とも縁続きの昭和のアイヒマン
水俣病は被害者と強欲な企業及び国が単純に対立したという問題ではありません。
水銀まじりの汚水を垂れ流してきたチッソは地元に根付いた企業で、そこに雇われて生計を立てている地元民も多くいたのです。
まず地元の猫に異変が起こり、そこから漁業に対する風評被害が出て経済的に打撃を受けた貧しい漁民が仕方なくとれた魚を自分たちで食べ、最初に病気にかかりました。
「貧乏人が腐った魚を食べて病気になった」
「死んだ魚を食べる乞食が金をせびりに来たな」
「腐った魚を食べるから病気にかかる,伝染るから近寄るな」
(江頭豊-雅子皇后の外祖父)
これは汚水を垂れ流していた当時のチッソの社長が退いて後、後処理を任された江頭豊という人物が株主総会などで発した言葉です。
そして水俣病を追及していた映画の主人公のモデル、ユージン・スミスはチッソ社員たちの暴行によって脊髄損傷、片目が失明の大けがを負います。
その当時の社長が江頭氏です。
(映画では最初に水銀を垂れ流した社長も、ユージンが暴行をされた時の社長も同じくノジマという架空の人物です。)
今上天皇が皇太子時代に雅子様を見初めこの人以外の女性は考えられない、と、かたい意思を見せた時に、宮内庁は彼女の外祖父の江頭氏はチッソの後処理のために入った人物だから水俣病に責任はない、と強弁してましたが、彼がトップに就任してからもメチル水銀垂れ流しは続いていました。
おそらく国や企業としては、賠償は仕方ないけどできるだけ少ない人数で少ない金額、と、いう意図があったのだろうし、江頭氏はその意図を忠実に受けていたのでしょう。
上記の暴言はその過程で出たものだが、彼も紛れもなくアイヒマンと同様の人物です。
また、会社の汚点を暴こうとする「怪しからん」カメラマンに「制裁」を加えたチッソの社員たちもまた上の思惑を忖度するアイヒマン同様だったことは間違いなかったでしょう。
☆本日の癒し~ねこ森町でも「怨」の旗~☆
猫の画像が絡むとハードな状況でも、ほっこりな味わいが加わるがふざけているわけじゃありません。
病で死んだ猫たちの無念は僕たちが晴らす(マオ他)!
(自前の猫スタンプ+黄色ののぼりはいらすとやより)
水俣病は水銀が魚の中で濃縮し、その魚を食べたものが病気になるのだけど、まず体の小さな猫に異変が現れたので、最初は「猫踊り病」とも言われていたのです。
水俣病を文学の力で告発した石牟礼道子さんが考案した黒地に「怨」の字が白抜きされた旗の写真はインパクトありますよ。
そのオマージュというわけです。
興味のある方は「水俣病 怨」などで、当時の画像が検索できますのでどうぞ('ω')ノ。
ではまた(^^♪。