昭和ネコ令和を歩く

~Show a Cat walk in 00~

矛盾しているようだけど「忘れたい」から文章に起こしてブログに残す

今週のお題「忘れたいこと」

 

 

忘れられる記憶だけなら幸いである

「年忘れ」という言葉や「忘年会」というイベントがあります。

 

年末は「忘れる」ことも重要な作業なのでしょう。

 

飲んで騒いで、すんなり忘れることが出る程度の記憶ならそれでOKでしょう。

しかし、記憶の中には傷とともに深く刻み込まれて、それだけでは消去しきれない記憶もあるのです。

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自分だけのトラウマスイッチ

そして厄介なことに、思い出さないようにしていても何がスイッチになっているかわからないもので、突如としてその時の嫌な(つらい)感情とともに頭の中のビデオで再生されることがあります。

 

そういうのを「フラッシュバック」というのかな?

 

でも「フラッシュバック」って事故や犯罪など大変な目にあった人に起こるんだよね、

命の危険までは及ばなかった自分の記憶の再生による苦痛にそんな言葉を使っていいのだろうか?

 

って考えていたら今年、元内親王の小室眞子さんの「複雑性PTSD」。

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一発KOストレートのような命に係わる出来事でなく、ボディーブローのようにじわじわと心をむしばむ、長期にわたる心理的苦痛も「トラウマ」って言っていいのですね >゜)))彡

 

例えば、これはまだブログに書いてないけど「ベーコン」がキーで、小学生時代の家庭科の調理実習でされたいじめを私はちょくちょく思い出します。

 

そこから芋づる式に様々な場でされたいじめが思い出されてしまうのです。

(ベーコンは好きなんだけどね、だから悩ましい。)

 

いまさら忘れることはできない、でも、その時の

「つらい」「苦しい」「悔しい」「悲しい」「怖い」

もろもろの気持ちを文章にまとめたところで記憶そのものは抹消できるわけではないです。だが、それに伴う「感情」(ネガティブなもの)は「昇華(浄化?)」されるから、文章にまとめて過去の感情の断捨離を行っていくのです。

 

そういえば、それもブログやっている目的の一つでした💦。

 

「美捨」の「捨」は「断捨離」の「捨」でしたから。

 

文章で頑張って「忘れる」作業、でも…、

独身20代の頃にそういう過去の記憶に伴う感情の「処理」の仕方に気づいて、せっかくそれを実践していたのに家族に踏みにじられた経験があります。

 

それに関する記事はこちら。

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そして、それから数十年後、心理的苦痛を与えていながら、与えている自覚のない肉親と、かかわりを持つ苦痛に耐えきれなくなって、文章で家族に手紙を送った時の顛末はこちら。

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そして今、それをブログに書いています。

ブログという記憶に残すことで物理的には、「忘れられない」ようになるが、それに伴った心理的苦痛だけはどうにかできるのです。

だがそんな文章を他人が求めるだろうか?

 

それは読む人が個々に判断することだから、ぐちぐち考えても仕方がないし、自分は自分の心の状態をクリアにするために時にブログというジャンルも利用しています。

いやはや、申し訳ないっちゃ申し訳ないけど<(_ _)>。

 

 

忘れることの天才たち、でも…

最後に忘れることにかけては天才級のワンコたち。

メイとユズの幼い時の写真をどうぞ('ω')ノ。

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お肉のおもちゃ、ボロボロで今はない( ̄▽ ̄;)…。

 

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いかなる時もスリッパ愛(。・ω・。)ノ♡。

 

10秒前のことを犬は忘れてしまうので悪いことをしたらその場ですぐに怒らなきゃ、と、犬のしつけの本には書いておりました。

 

でも、嫌な記憶はしっかり覚えているのよね。

 

それは「短期記憶」と「長期記憶」の違いでもあります。

嫌なことを忘れないのは、二度と同じ目に合いたくないという自己防衛本能によるものでもあるから、嫌な記憶がなかなか忘れられないのはある意味自然な姿なのでしょうね。

 

ではまた(^^♪。